『LIFE WORKS JOURNEY』 Special Interview

 

 

良くも悪くも、「人生が最大のネタ」ですからね。

FLYING KIDSが、最新アルバム『LIFE WORKS JOURNEY』に込めた想いの丈とは…。

07年に男性メンバー6人が再集結し、ふたたび活動の狼煙を上げたFLYING KIDS。09年には、10年ぶりとなるアルバム『エボリューション』をリリース。その間も彼らは、コンスタンスにライブ活動を続けてきた。あれから2年。再終結後、2枚目となるアルバム『LIFE WORKS JOURNEY』が誕生!! 9月21日に発売となる。今や、メンバーも全員40代。この年齢だからこそ語れる音楽が『LIFE WORKS JOURNEY』には詰まっている。そのアルバムの魅力を、ヴォーカルの浜崎貴司と、リーダーでありベーシストの伏島和雄に、全曲解説も含め伺った。

長澤智典

-----改めて、FLYING KIDSが再終結をした経緯から教えてください。

浜崎    07年にシングル発売した『Beautiful!!』を作っていく中、久しぶりにリーダー(伏島和雄)にベースを弾いてもらい、一緒に歌をハモったんですね。そのときに感じたのが、「あっ、これってFLYING KIDSのサウンドだなー」っていうこと。

バンドって、「一緒に一旗上げるぞ!!」という想いから生まれ、それが、何時しか家族的な関係になっていくもの。FLYING KIDSが解散した原因は、メンバー間だけの問題ではない、バンドを取り巻くプロジェクト全体としての様々な問題が生じて、導き出された結果。それらの問題もすっかりクリアーになり、それぞれが「バンドの歩んできた軌跡」を再認識できる時期になっていたこともあって。リーダーとのセッションをきっかけに、「キチッと世の中に認められたあの経験を、もう一度あのときのメンバーらと味わいたい」と思うようになり、声をかけたところ、07年の年明け頃から集まり出したのかな?

伏島    復活の舞台となったのは、07年8月に出た「RISING SUN ROCK FESTIVAL」なんですけど。中には、10年ぶりに楽器を叩くメンバーもいたり。それぞれが仕事を持っていたこともあって、準備期間には、長く時間を割きましたね。

浜崎  その復活ライブから1年くらいかけて、10年ぶりとなるアルバム『エボリューション』を制作。その間もコンスタンスにライブ活動を行いながら、今回のアルバム『LIFE WORKS JOURNEEY』に至ったという感じですね。

-----メンバーの中には、ずっと現役ミュージシャンもいれば、裏方としての仕事をしながら、その一環としてFLYING KIDSの活動を行っている人もいます。

浜崎    むしろ、それぞれが「100%、FLYING KIDSでいないこと」が、ものすごく心を自由に表現させてるし、ピュアに音楽へ向かっていけている気がしますね。

『エボリューション』を制作している頃は、「FLYING KIDSはどういうバンドであるか?!」を、改めて世の中にきちんと説明しなきゃというプレッシャーを持った中で制作していた面は強かったけど。1枚作ったことで、誰もが、自然体なFLYING KIDSに立ち戻ることが出来た。

伏島   「楽しくやろうよ」と言いつつ、FLYING KIDSとして活動する以上は、求められる期待もあるように、大人の趣味でやる域で納まるものじゃないことは、誰もがわかっていたことなんでね。だからこそ、じっくり制作に時間もかけたわけなんですよ。

-----最新アルバム『LIFE WORKS JOURNEY』に対し、「日々の生活の中で感じた想いを、今の年代だからこその視点で描ける言葉や音として形にした作品」という印象を受けました。

浜崎  長く歌を作り続けていくと、良くも悪くも、「人生が最大のネタ」みたいなところがあって。

FLYING KIDSのデビュー・アルバムに付けた『続いていくのかな』というタイトルじゃないけど。当時は、「何時までこういう楽しいことを演り続けられるのかな?」という漠然とした気持ちを持っていた。もちろん、その気持ちは、今でもあること。

音楽っていうのは、「非常に美しいもの」でもあるんですが、音楽に携わることで、「非常に残酷な側面に出会うこと」も、多々あるんですよ。音楽っていうのは、それくらい「厄介なもの」。でも「厄介だからこそ、手に入れたときには、大きな感動」を味わえるし。同時に、それを得るための「恐怖心」も抱え続けてゆくことになる。

だけど40歳を過ぎた頃から、「自分の人生は音楽とずっと関わっていけるものかも知れない」「大丈夫かも知れない」と確信を抱き始めるようになり。そして、今に至るんですけど。でも、「まだまだ、こっからどうなるかわかんない」という不安や恐怖だって、やっぱり感じてしまう。

-----ここまで音楽家として進んできた以上、「一生表現者」としての道筋を求めてくのは間違いないと思いますが。それでも、歩んでく道の中には、つねに「もがきや葛藤」は出てくるものですからね。

浜崎  そう。いくら素晴らしい実績を残してきた人であっても、音楽の苦悩と向き合う中、時には「死に向かわせてしまう」ことだってあるわけじゃないですか。

以前、かまやつひろしさんと一緒にご飯を食べてたときにも、「僕は一生音楽で食べていけるのか?それを考えると怖いんですよね」という話をしたら、かまやつさんに何って言われたと思います?「んー、考えないことだね」って(笑)。だけど、その言葉を聴いて「そっかー」と思えたし。「もっともっと、音楽が持っている本質的な部分を大事にしていこう」と思ったんですよ。

-----「音楽が持っている本質的な部分」ですか。。。

浜崎  そう。もともと音楽って、「労働歌」だったじゃないですか。きつい仕事を、皮肉混じりに唄うことで乗り越えたり。唄うことで、仕事後の解放感を楽しんだり。。。

「唄うことで心が癒されてゆく」。今の僕は、そういう歌を求めながら、音楽の旅を続けている気がしているんですよね。

伏島  今でも進んでいく中、いろんな葛藤は生まれてくる。でも同時に、1stアルバム『続いていくのかな』を作った時と同じくらいに、「音楽を楽しんでる」手応えもある。しかもそれを、『LIFE WORKS JOURNEY』に詰め込めた実感があるんですよ。その気持ち(モチベーション)が、これからもずっと続いていければいいんだけどさ(笑)。
もう20年以上音楽へ携わっているにも関わらず、改めて「バンドマジック」を、自分らでも感じたのが、この『LIFE WORKS JOURNEY』というアルバムなんですよ。

-----アルバム『LIFE WORKS JOURNEY』には、「40代の自分たちだからこそ表現できた歌」を詰め込んできた印象を覚えます。

浜崎  「しなやかさ」や「優しさ」「柔らかさ」などを上手く表現できるようになってきた。「言葉」や「演奏」の両面から、「それぞれが音楽を通して向き合ってきた人生観」みたいなものを、上手く「共通の想い」としてまとめあげられた実感は、僕らも感じていること。

そのうえで今回は、「物事はけっして単純じゃない。それをわかったうえで、楽しく盛り上がれる音楽を作ろう」という想いのもと、制作へ向かっていった。正直、終着点の見えない状態での作業だったとはいえ、「どうしようもないくらいにFLYING KIDSである音楽」であり、同時に、「FLYING KIDSの新しいサウンドに出会えた感触を持てた」ことは、すごく良かったなと思っています。

伏島  スタジオで制作していく中、メンバーのひと言から楽曲の方向性が、ガラッと変わっていくこともあった中、それでも、「FLYING KIDSらしい作品」に仕上がっていった。

-----収録した『JOY!』の歌詞じゃないけど、「JOY TO THE LIFE」の見えてくる1枚ですよね。

浜崎  たとえばの話、「宝くじを当てて、それで一生食っていきたい」と思うから、みんな夢を買うわけじゃないですか。もちろん、自分だって当たりたいんだけど(笑)。でも、「これで一生食ってくける」となったときに、「楽しいかな?」と思ったら疑問を感じるじゃない。むしろ、何かに向かって苦悩しているからこそ充実感があるし、楽しさをつかむことが出来る。だから、「今向き合っている物事は、けっして悪いことじゃないんだ」というのは、全体としてのテーマの中へ自然と出ていることかも知れない。

その意識が強いからこそ、『SQUALL』で共演したスチャダラパーのBOSEくんじゃないけど、同世代のミュージシャンらと運命共同体な意識で、共に音楽という環境の中、楽しみながら歩んでいけてるんだと思うんですよ。

-----アルバムからは、「”今の時代の空気”だからこそ、歌が胸に響く」印象も強く感じました。

浜崎  THE BACK HORNの山田(将司)くんと歌った『愛しさの中で』とか、すでに10年以上前に原型を作った歌にも関わらず、3.11という体験をたくさんの人たちが共有している今だからこそ、深みを持って響いてきた歌もあれば、不条理な世の中だからこそ、『バカボンパパ』のように「これでいーのだ」と言い切ってしまう破天荒さに憧れたりというのは、実際にありますからね。ちなみに「これでいーのだ」という言葉は、昔から、うちのリーダーの口癖というか、彼の人生の座右の銘みたいなもの。実際に「なるほど」と思うことも多かったように、「何時かは歌にしたい」と思っていたことなんですよ。

-----メンバーのみなさんも、気がついたら「パカボンパパ」よりも年上になってしまいました。

浜崎  これ、ぜんぜん余談なんですけど。最初のアニメ・シリーズのときって、バカボンパパに年齢設定ってなかったんですよ。だけど、次のシリーズのときに、エンディングで流れた『元祖天才バカボンの春』の中で♪41歳の春だから♪と唄われたことよって、41歳だと思われるようになったんだけど。改めて調べたら、パカボンパパの年齢設定って、実際にはない。そういう「年齢に縛られる存在ではない」ってことなんですよ。

と言いつつ、僕もその歌の印象があったから、「うわっ、もぅすでにバカボンパパよりも年齢が上かよっ!」と焦ったことで、こうやって歌が生まれたわけなんですけど(笑)。ちなみに、「鉄腕アトム」に出てくるヒゲオヤジも40代。しかも、気がついたら僕らのほうが、あの若ハゲよりも年齢が上になっていた(笑)。そんな「人生の積み重ね」があるから、こういったアルバムを作れたのは間違いないですね(笑)。
これからも、「人生を歌にしていく」姿勢は、変わらずに続いていくことです。

-----今のFLYING KIDSは、アルバム『LIFE WORKS JOURNEY』を通し、「40代という人生を謳歌した歌」の数々を届けてくれました。これからも、「人生を歌にしていく」姿勢は、変わらずに続いていくことなんでしょうね。

浜崎  良くも悪くも、「人生が最大のネタ」ですからね。「一生歌っていけるかなぁ」という不安を抱えながらも、そこへの執着を強く持っている。我々もローリング・ストーンズのように、年を食っても音楽し続けていきたいですからね。

 


 

――『LIFE WORKS JOURNEY』に収録されている曲達の紹介をお願いします。まずは『JOY!』。これは始まりの曲としてふさわしい一曲になりました。

浜崎:「ライブの始まりに歌える曲無いかなー?」と思って作りました。テーマは「楽しむ」(=JOY)。人生の中に”何のストレスも無い人生”があったとしたら、それは”本当につまんない人生になる可能性がある”ってことですよね。いろんなことが起きて、「これは絶体絶命だな」という出来事は、逆に言うと、人生をすごく豊かにするチャンスだと思うんですよね。そういう苦悩っていうのが、じつは楽しむためのヒントになっている。そんな想いで、この曲は作りました。「今向き合ってることに悪いということはなにも無いんだ」という歌です。

――2曲目の『SQUALL』はスチャダラパーのBoseさんと歌われています。

浜崎:ソロ活動を始めて以降、同世代のミュージシャンらと一緒に遊んだり、呑みにいったりするなど、「同じ時を共にする時間」が増えたことから、「運命共同体」のような関係になっていたんですね。そういう時間を経た上でのコラボレーションなんで、見事に自分達の思いを掛け算してくれるような膨らませ方をBoseくんがしてくれた。そこには、感動しましたね。

――「♪色んな事あってみんな大人になっていく♪」まさに、そのとおりですよね。『愛しさの中で』にも、単に「楽しい」だけじゃなく、いろんな悲しみが詰まっています。

浜崎:10年前にすでに作っていた曲だったんですが、内容的にはどこかちょっと重い部分があって、当時は時代に合わなかったような気がしたんです。でも、今年の3月11日という日を迎えた後に、もう一度その歌を見直したとき、今唄うべき歌という感じが強くしたんですね。その歌詞に記された想い以上のものが、時代の空気と交じり合って、「癒される想い」が生まれてきたんです。そういった、音楽が世の中に発表されていくタイミングとか、複雑さ、逆に言うと面白さなんかを、改めて感じた曲でしたね。

伏島:6月に行われた「ワ・リ・コ・ミ@GACHI」というイベントの中で山田君と歌ったんですけど、それがすっごい感動的で、聴いてて泣いちゃったんですね。その感動を作品にも詰め込みたくって、「ぜひそれをFLYING KIDSでやらせてくんない?」ってオファーしたんですよ。

――4曲目の『カクレンボ』も意味深な感じですよね。

浜崎:この曲はFLYING KIDS再結成時にギターの丸山が書いていた曲で、その頃から気に入ってたんですけど、歌詞が、なかなか付かなかったんです。だけどある日、「子供の目線で作ってみたらどうか」って閃いて、それから3年くらいかけてやっと出来上がったものでした。

童話の世界って、変に残酷さとか不条理だったりすることがあるじゃないですか。でも実際の世の中にも、そんな残酷さとか不条理なことがあふれている気がするんです。だからこそ、その想いを、大人の目線で「善か、悪か!?」という風に仕分けする以前の、子供の目線で捕まえてみたいと思ったんですよね。それこそ、今は鬱病になっていく大人がすごく増えたように、社会のグルーヴから外れてしまうこととか、抜け落ちちゃうっていうことを、子供の目線で触れてみたかったんです。

――『ハナレバナレ』は、3.11の影響を受けている歌という印象も受けました。

浜崎:当然3.11の事が無かったわけじゃないですけど、離婚して会えないとか、消息が不明で会えないとか、嫌われて会えないとか、この歌では、「会えない」ことを歌にしたいなと思ったんです。

――これは、リハーサルスタジオでのセッションから生まれた曲ですよね。

浜崎:そうなんです。スタジオでなんとなく弾き始めたコードに勝手にメンバーがくっついてきて、面白いなと思って録音しました。しかもその曲を、キーボードの飯野が「この間録ったやつ、アルバム用に使わない?」って、言い出したわけですよ。

言われた時点では、「形にするといっても、まだ歌詞もついてねぇしさ」と思ったんだけど、「そういうことって何かヒントがあるからこそ出てくる言葉だな」と思って、「それを逃がさないようにしなきゃいかんな」とも思ったんです。その時点では、インストにするつもりでいたんですけど。別の曲のテーマとして考えていた「離ればなれ」というテーマがふと浮かんできて、曲に合わせて歌ってみたらメロディーが生まれてきたことから、歌になっちゃいました。

ただ、歌的に生々しい想いがてんこ盛りになってしまったので、「表現の仕方はひと皮かぶせた方がちゃんと伝わるんじゃないかな?!」という風に思って、一回オートチューンをかけてみたんですけど。これが、予想以上に面白かった。

伏島:浜崎貴司という濃いメッセンジャーを、ちょっと機械的なところに乗せると何か面白いんじゃないかって思って、無責任にアイディアを投げてみました(笑)

――6曲目の『バカボンパパ』は名前の通りバカボンパパがテーマになっています。

浜崎:曲調面では、The Knackの『マイ・シャローナ』のような、70年代後半~80年代前半のイメージなんです。「自分達の体験したあの時代の感じをもう一回表現しちゃおう」っていう勢いに乗せて、表現してみました。

歌詞に関しては、昔、リーダーが「これでいいのだ」という言葉を座右の銘のように使っていて。「なるほどな」と思っていたので、ずっと歌にしたいと思っていたんです。

――「天才バカボン」は、昔からよく見ていたんですか?

伏島:リアルタイムですね。僕ら世代は。

浜崎:僕もよくアニメは観ていたんですけど、バカボン・シリーズの漫画だって、今でも持ってますよ。読むとね、くだらないんですよね、意味が無い。ナンセンスすぎる!!(笑)

――「意味が無い」ところが良いんですよね(笑)。常識に縛られない感覚のブッ飛びさ加減が楽しいというか。

浜崎:そうなんですよ。今の世の中ってわりと「出る杭は打つ」みたいな、何かをしでかすとそれを誰かが監視して、引き降ろしてゆくみたいな所があるじゃないですか。そんな、監視状態にある現代社会とは無縁の所にバカボンのパパがいて、挙句の果てに「これでいいのだ!」と言い放つ。そういう破天荒な、パワフルな存在みたいなものに憧れたって感じです。

――確かに、ネット社会になった今、誰もが監視しているし、されていますよね。発信する側の浜崎さんとしては、その辺はどうですか?

浜崎:例えば友達と飲んでて、その友達が僕の知らない人を連れてくるとする。そこで、その人が「浜崎貴司とどこそこで呑んでる、なう」とかネットに書いたりすることもあるんですよ。俺としては、そんなことまでばらさないで欲しいんだけど。「プライベートで呑んでるから絶対に書かないでね」と言って呑むのも、変な話ですし。そうなると、なるべく知らない人とは呑みたくないって気持ちになってきちゃって。なんか、おかしな時代ですよね。

今って、心のどこかでみんなが思っていることを口にするだけで、急に大変なことになる。「口に出す」っていう事がすごく怖い時代になってきましたよね。でも、ネットなどで自分の本名を名乗らない状態であれば言いたい放題になる。そういう変な爆発の仕方をしていると思うんです。これも一種のブームなのかもしれないですけど。

――歌詞の中にもありますが、気づいたらバカボンパパ(41歳)よりも年上になってしまいました。

伏島:マニアックなことを言うと、最初に見ていたシリーズでは年齢設定って無いんですよ。次のシリーズの『元祖天才バカボンの春』で初めて「♪41歳の春だから」と歌われているんです。

浜崎:バカボンパパは「年齢に縛られる存在ではない」ってことなんでしょうけど。当然僕らはアニメの歌を聞いてたので、「うわっ、バカボンパパより上かよ」みたいな、焦りっていうか、「大人になっちゃったな」みたいな想いがあったので。そういう想いから、この歌が出来上がりました。(笑)ちなみに鉄腕アトムに出てくるヒゲオヤジも40代で、気づいたらあの若禿げよりも年齢が上になっていました。(笑)

――続いての『HESOの下☆WORLD』ですけど、この辺は得意な感じじゃないですか?

浜崎:「下ネタを哲学に導く」っていうのは、僕にとって「伝家の宝刀」みたいなところはありますね。でも、大人になっちゃったんで、「大人気ないな」と思って、なかなかそういうのを作っていなかったんですけど。久しぶりに伝家の宝刀を抜いたら、すごい良かったなという感じでした。

演奏も、自然にやっているようで、非常に難しいテンポだったりして、意外と頑張ったんですけど。そういう頑張った感が微塵も出てないのにはビックリしました(笑)

――今でも獣なんですか!?

浜崎:獣な感じです。…ということにしといてください。(笑)

――続いてが、切ない表情の『9月』。話は多少ズレますが。アルバムの曲順の並びも嬉しい驚きでした。

浜崎:一曲一曲がそれぞれ独立して、きちんと完結しているように録音していこうということだったので、曲順のことは最後まで考えないようにはしていました。結果的には、12曲すべて録り終えた時点でパッと頭の中に浮かんだ順番に並べたものにしたんですけど。山あり谷ありな感じが自然に組み立てられてて、ちょうど良いバランスになったのにはちょっとビックリしました。

伏島:『9月』は本当にリアルな歌だなと思います。個人的にも恋愛とか、生活とか、いろいろとあったので(笑)。ある程度経験を経た人ほど、とても心に響く歌じゃないかと思います。

――ここで『レクイエム』というインストゥルメンタルをはさみます。インストゥルメンタルは、最初から入れるつもりだったんですか?

浜崎:基本的には、入れるつもりはありませんでした。もっと遊びっぽく曲を繋いでくイメージだったんですけど。ある日、『レクイエム』のメロディーを思いついて。「この曲は、歌物じゃなくてギターのインストゥルメンタルで良いなあ」っていう風に思ったとたん、ふと『レクイエム』というタイトルが閃いたんです。そこで初めて「そうか、俺、そういうつもりでこの曲を作ったんだな」って風に気づきました。

――ここで『レクイエム』が入ることによって、後の3曲の世界観に浸っていける感が生まれました。

浜崎:その後に続く『ちぎれぬ時間』『LIFE WORKS JOURNEY』、そして『エピローグ』という流れを通して大円団に辿り着きたかった想いはありました。

伏島:『ちぎれぬ時間』は、イントロの「♪ターンターン、ターラーラーラーン♪」の所がすごく印象的でした。あのイントロの静かな雰囲気。あの雰囲気ってティン・パン・アレーとか、あの辺りの時代の人達が上手く表現していたスタイルと同じ感じなんです。僕の中では、「イントロの部分を上手く演れたら、僕らの憧れたミュージシャンたちのポップスの領域に近づけるかな?!」っていう欲があったんですけど。でも最終的には、「FLYING KIDSらしさとしての落ち着きどころを持てたこともまた、すごく良かったな」と思いましたね。

――終盤の3曲、この流れがすごくいいですよね。『LIFE WORKS JOURNEY』はまさに人生観を表しています。

浜崎:弾き語りのツアーを今年の1月末から始めたんですけど、いろんな所を旅しながら、旅していくことの「楽しさ」だけじゃない、「怖さ」というとちょっと大げさなんですけど、「大変さ」みたいなものをすごく感じていたんです。でも、その大変なことをやりきって家に帰ったときに、旅ごとの充実感っていうのがあって。そのときに、「大変であればあるほど満足度とか、感動みたいなものが高い」っていうことに気づいたんです。しかも、「これって人生にもいえることのかな」とも思ったんですね。

――人生を旅にたとえた訳ですか。

浜崎:実際に今までいろいろと音楽の旅をしてきましたけど。僕のずっと憧れてた事がやっと出来る環境になって、その中で書き上げることが出来た歌っていう感じがします。

――この歌には、「故郷」というキーワードも出てきます。

浜崎:世の中には、「故郷」から一生出ない人もいるんでしょうけど。「生まれ故郷こそが人生の始まりであり、スタートライン」と考えると、「その後の人生の中には、いろんな旅があるんじゃないかな」って思うんです。僕もまた、栃木から東京に出てきて、いろんな人生を体験してきた。その、「当たり前の中にある大変なこと。でも面白いこと」っていうところを、この歌では捉えたかったんです。

――最後は『エピローグ』で終わりますけど、この流れも良いですよね。やっぱり最後はこれ! といった感じだったんでしょうか。

浜崎:そうですね。これは最後に書いた曲だったんですけど、もともと「最後の曲を書こう」というつもりで書いたわけじゃないんですよね。でも多分、無意識の中で、今回のアルバムの終わりというものを意識していたんだと思います。

この曲には非常にロマンチックな言葉を羅列して、「人生がロマンチックなことで埋め尽くされますように」という、願いや祈りを込めた歌だったなという風に思います。